法事をする時が来たけれど、忙しくてできない、体調が悪い、費用が出せないなど、法事を行うのが難しいこともあるかもしれません。
では、法事をしないとどうなるのでしょうか。
本当はやるべきだと思いながら、できないと気になるものです。
法事には意味がある
たとえば、四十九日法要は亡くなった方が極楽浄土に行けるかどうかの審判が行われる日とされ、成仏できるよう法要を営むとされています。
一周忌は故人の供養とともに、ご遺族がしっかり生活をしていることを故人に報告するという意味があります。
いずれも仏教上の教えからくるもので、信仰心がないから行わないという選択もありです。
菩提寺があり、仏教のご家庭でも信仰の度合いはさまざまで、法事やお盆などの行事も家庭や地域の風習として行う場合や社会一般に行われているからとの理由で行っている方も少なくありません。
強制ではない
法事は仏教上、強制されるわけでもなく、行うかどうかはご遺族次第です。
信仰心もないし、故人の供養より自分たちのことで精いっぱいなどと行わない選択もあるでしょう。
気になるのは、法事を行うべきと思いながら、さまざまな事情で難しいケースです。
法事ができない時は
法事をしたいけれど、高齢で難しい、体調が悪い、仕事が忙しくて時間が取れない、費用が厳しいなどの事情で、できないこともあるかもしれません。
こうした場合、故人や先祖に申し訳ないと感じることや中には親族などから「法事もしないで何をしているのか」と批判を受けること、陰口を言われることもあります。
法事をしたいのにできないというのは、心残りで精神的にもよくありません。
法事といえば、親族などを招き、僧侶に読経をしてもらい、会食するのが一般的です。
ですが、そのような形を採らなくても、供養をすることはできます。
親族を集められない場合や会食の機会が設けられなくても、たったお一人でもお寺に出向いて僧侶に法要をしていただいてもかまいません。
外出が難しければ、ご自宅のお仏壇にお供えをして、お線香をあげるのでも良いのです。
病室のベッドで故人を想い、手を合わせるだけでも気持ちは伝わります。
まとめ
法事は仏教上の儀式ではありますが、行うかどうかはご遺族のご事情やお気持ち次第です。
とはいえ、さまざまな事情で行うことができない場合、心に不安を抱える場合や故人や祖先に申し訳ないという気持ちを抱く方も少なくありません。
大々的に法要を行わなくても、一人で僧侶に読経をあげていただくだけでも良いですし、それができなければ、仏前に手を合わせて供養するだけでもかまいません。