一度くらいは見聞きしたことがあっても、何を意味しているのかわからない仏教用語は数多くあります。
仏教用語の中には日常的に使っている言葉もありますが、仏教用語として使う時は、まったく意味が異なることもあるので注意が必要です。
以下で、仏教用語としてよく登場する言葉について見ていきましょう。
忍辱(にんにく)

仏教の重要な修行の一つです。
何を言われても何をされても、決して逆らわず、じっと耐え忍ぶことを意味します。
言葉の暴力だけではありません。
忍は刀に心と書くことから、刀で脅されても動じない心を意味します。
直接の恥辱に耐えることだけでなく、なかなか効果が出なくても努力を続けていくことも意味します。
つまり、精進(努力すること)の根底にある概念です。
涅槃(ねはん)
サンスクリット語でニルヴァーナといい、火が吹き消された状態を意味します。
すなわち、煩悩の炎が消され、完全な悟りの境地に入ることです。
念仏(ねんぶつ)
仏を心に念じることで、宗派によっても念じ方に違いがあります。
たとえば、浄土教では阿弥陀仏の姿や極楽浄土を心の中にイメージしながら念仏を唱えます。
般若(はんにゃ)
日常用語では般若というと、怖い形相をしたお面がイメージされることでしょう。
ですが、仏教用語の般若はお面とは無関係です。
般若とは智慧を意味し、仏教が説く悟りの智慧を指しています。
彼岸(ひがん)
迷いから解き放たれた悟りの世界、すなわちあの世のことです。
布施(ふせ)
広く施すことです。
サンスクリット語では、贈り物を意味します。
布施は仏教徒にとって大切な修行の一つですが、重要なポイントがあります。
布施する者、受ける者、施すもののすべてが清らかでなくてはならないということです。
そして、恵んでやるといった上から目線ではなく、受け取ってくれる相手に感謝して施すことが大切です。
仏性(ぶっしょう)
人の心の中に潜む仏となる可能性を指します。
分別(ふんべつ)
日常用語では、分別がつくというのは良い意味に捉えられます。
ですが、仏教用語ではまったく逆で、間違った判断という意味です。
一方で、無分別というと、日常用語では分別がないダメな人のイメージになりますが、仏教用語の無分別は仏の智慧のことです。
方便(ほうべん)
すべての人を仏の道に近づけるための手段方法を意味します。
煩悩(ぼんのう)
人間の悩みの原因となる欲望のことです。
凡夫(ぼんぶ・ぼんぷ)
迷いの世界、すなわちこの世、現世で輪廻転生する者の意味です。
いわゆる、悟りに至っていない、われわれ一人ひとりと言えます。
曼荼羅(まんだら)
本質を所有しているものの意味で、仏たちが全員集合した図を指しています。
無常(むじょう)
常ではない、非永遠的な、一時的な、という意味です。
日本で使われる、はかなさを意味する言葉ではありません。
万物は変化し続け、何一つとして、同じ状態であり続けるものはないことを意味しています。
無明(むみょう)

人生の真理に対して、正しい智慧を持っていない状態です。
さまざまな出来事や道理を明確に把握できない精神状態のことです。
根源的な無知とも訳されます。
唯識(ゆいしき)
大乗仏教の思想にもとづくもので、私たちが経験する世界は識のみである、という考え方です。
礼拝(らいはい)
仏や菩薩などの前で、敬意の心を持って敬礼することです。
輪廻(りんね)
生きとし生けるものはすべて、死後も何らかの形で存続していくことを意味します。
仏教では輪廻転生の思想があります。
何度も生まれ変われるのが良いことなのではありません。
仏教では生きることは苦しみそのものと説くため、何度も生まれ変わることは苦しみ続けることを意味します。
仏教では苦しみから解かれて成仏することが目指されます。
まとめ
仏教用語の中には日常的に使っている言葉もありますが、まったく意味が異なるケースが多いので、区別して理解しましょう。
















